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神戸地方裁判所 平成4年(わ)370号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件起訴状の公訴事実

検察官の本件起訴状の公訴事実は、次のとおりである。すなわち、

「被告人は

第一  神戸市灘区《番地略》甲野文化一階に居住するものであるが、同甲野文化二階に居住しているA(当時三五歳)が、かねてから騒音を発することなどに憤懣をいだいていたところ、平成四年三月一五日午前零時二〇分ころ、右AがBと共に前記甲野文化南側道路上を通り過ぎるのを見かけた際、右Aが自己を侮蔑する態度に出たものと思い込み、これに立腹し、牛刀(刃体の長さ約一八・八センチメートル)及びドライバー一本を携えて、同人らの後を追い、同区鹿ノ下通一丁目二番二号前路上において、同人らに追いつくや、右Aに対し、殺意をもつて、右牛刀及びドライバーでその胸部、腹部等を数回刺し、よつて、その場で、同人を心臓刺切創により失血死させて殺害し

第二  前記日時場所において、自己の右Aに対する前記行為を制止しようとしてB(当時六二歳)に対し、両手でその胸部を突き、同所に転倒させるなどの暴行を加え、よつて、同人に対し、加療約三月を要する頭部打撲、胸部、腰部、右肘打撲の傷害を負わせ

たものである。」というのである。

二  証拠による認定できる事実

本件において適法に取調べた関係各証拠によれば、弁護人が争う公訴事実第一のAに対する殺意、同第二のBの傷害が被告人の暴行により生じたことをも含め、公訴事実第一、第二の各事実は、被告人の責任能力を除いて認めることができる。

(一)  弁護人は、公訴事実第一につき、被告人にはAに対する殺意は存在しなかつたと主張する。

よつて、検討するに、第二回、第五回、第七回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の警察官調書(検察官請求番号61、62、66)及び検察官調書(前記番号69)、検証調書(前記番号34)、医師竜野嘉紹作成の解剖結果中間報告書、司法警察員作成の解剖立会報告書、押収してある牛刀一丁(平成四年押第九三号の1)、同牛刀刃先(同号2)、同ドライバー一本(同号の三)並びにC子(二通)、D子及びE(二通)の警察官調書等関係各証拠によれば、被告人は、予れから被害者のAが被告人方居室へ侵入し盗みを働いているなどとして憤懣を抱いていたところ(真実は被告人の妄想)、犯行当夜、これを防止するため、甲野文化の南側路上付近で、自室入口に改造した南京錠を取り付けているとき、Aが被告人の前を馬鹿にした顔付で通り過ぎたように思い激怒し、甲野文化の北側路上で、回り道をして戻つてきた同人に「Aやな。」と声をかけ、逃げ出した同人を五、六メートル追い、立ち止まり「何じやい。」と向き直つた同人に対し、刃体の長さ一八・八センチの牛刀でその腹部を数回突き刺した後、仰向けに倒れた同人の傍らにかがみ込み、右牛刀を逆手に持つて胸部を突き刺し、更に、ドライバーを右逆手に持つて、数回頭上から振り下ろすようにして胸部、腹部を突き刺し、左前胸部刺切創(創口長約五・八センチ、創管全長約一二・五センチ)、上腹正中部刺切創(創口長約五・五センチ、肝臓、胃、膵臓切損)、臍上部刺切創(創口長約五・三センチ、胃前後壁を貫く)などの傷害を負わせ、同人を心臓刺切創による失血死により死亡させたことが認められる。

右の犯行の動機、態様、傷害の部位、程度等によれば、被告人が、本件犯行の際、Aに大使、確定的殺意を有していたことは明らかである。

(二)  弁護人は、公訴事実第二について、被告人には傷害の故意はなく、また、被告人の行為とBの受傷の事実との間の因果関係が証明されていないから、被告人は無罪である、と主張する。

まず、Bの傷害は、医師奥本有作成の創傷診断書及び診断書並びに司法警察員作成の捜査復命書(前記番号18)及び写真撮影報告書(前記番号19)によると、事件の翌日、頭部打撲、胸部打撲、腰部打撲、右肘打撲による一〇日間の安静休業を要すと診断されたが、そのうち胸部打撲のみは、強打されたようで、予定通りに治らず、三月半経過後も加療を要するほどであつたことが認められる。

右受傷について、証人Bは、第三回公判調書中において、受傷した夜は過度に飲酒し、酔つていたうえ、後頭部を叩かれたような感じがして後方に倒れ、一瞬気を失つたので、誰から殴打されたか、胸の傷がどうして生じたかも分からず、気が付いたら、横でAが血を出して倒れていたと供述しているに過ぎないから、同人の供述は被害状況に関する限り、証拠価値の乏しいことは否定できない。

しかし、被告人は、検察官調書(前記番号69)において、「Aが、『何じやい。』と言つたとき、Bが『こら、何しよるんじやい。』と大声で言いながら、私に掴みかかつてきましたので、両手でBの胸のあたりを突き飛ばしました。するとBはその場に仰向けで倒れたか尻餅をついたような感じで倒れました。」、「そのとき、(二回目にAを刺したとき)、Bがまた何か大声で言いながら、私に掴みかかつてきました。私は右手で包丁を持つたまま、左手でBの胸を突き飛ばしました。Bは一旦その場に倒れて尻餅をつきましたが、また起き上がつてこようとしましたので、サンダル履きの右足でBの顔か胸あたりを一回蹴つ飛ばしました。」と供述しているところ、被告人の供述するBに対する右暴行の部位と態様、路上への転倒の状況等とBの傷害の部位、程度とを対照し検討すると、Bの傷害は、いずれも被告人の暴行によつて生じたものと合理的に説明がつくから、前記Bの傷害は、被告人の行為によつて生じたと認められる。

弁護人は、Bは当時泥酔していたため、転倒等により自ら傷害を負つた可能性もあると主張し、被告人も、公判廷で、Bの胸を突いたり、蹴つたりしたことを否定しているが、証人Bは、当夜、本件発生まで、転倒したり、物にぶつかつたりしたことはないと断言しており、被告人も前認定の傷害のうち、胸部打撲以外の原因となる暴行自体を加えたことはほぼ認めているうえ、単なる転倒等によつては、入院を要するほどの胸部打撲が生じるとは考え難いことなどに徴し、弁護人の主張は採用できない。

なお、弁護人は、傷害の故意も争いが、傷害罪は暴行罪の結果的加重犯も含むのであるから、傷害罪の故意としては、暴行罪の故意をもつて足り、既に援用した証拠によれば、被告人は、Bに対し、暴行を加えることについての認識・認容を当然有していたと認められるから、弁護人の右主張も排斥を免れない。

三  被告人の責任能力について

弁護には、本件犯行当時、被告人は心神喪失状態にあり、責任無能力である旨を主張し、他方、検察官は、犯行当時、被告人は、心神耗弱であつたに過ぎないと主張する。

(一)  被告人の犯行当時の精神状態については、起訴前の医師守田嘉男作成にかかる甲野太郎被疑者精神鑑定書(以下、「守田鑑定」という)、第四回公判調書中の同人の供述部分(以下、「守田証言」という)、裁判所に選任された鑑定人斉藤正己作成の甲野太郎精神状態鑑定書(以下、「斉藤鑑定」という)、同人の当公判廷での証言(以下、「斉藤証言」という)が、直接被告人を診断した医師の意見等として存在する。これに加えて、本件では、守田鑑定を論評するものとして、医師宮崎隆吉作成の甲野太郎精神鑑定書に対する意見書(以下、「宮崎意見」という)、第八回公判調書中の証人宮崎隆吉の供述部分(以下、「宮崎証言」という)が、証拠として存在する。

これらによると、右三名の医師とも、犯行当時、被告人が、A、F子から迫害されているという内容の妄想(真性妄想)を抱き、パラノイアの病態にあつたことをいずれも認めているが、被告人の犯行当時の責任能力については、意見が分かれている。

そこで、まず、右の各見解の前提である、被告人が甲野文化に居住し始めてから、本件に至るまでの被告人と被害者Aらとの関わりを中心に被告人の生活状況を検討することとする。

(二)  本件に至るまでの被告人とA母子らとの関係について

捜査復命書(前記番号27)、第六回公判調書中の証人F子の供述部分、G、H、I、J、K子、L子の各警察官調書、第三回公判調書中の証人Bの供述部分、検証調書二通(前記番号29、30)並びに被告人の警察官調書(前記番号62)、第五回公判調書中の被告人の供述部分及び守田鑑定中の問診の結果によれば、以下の事実が認められる。

(1) 平成二年四月八日、被告人は、甲野文化の一階東南端に入居し、その夜から西隣のM方に「壁を叩くな」と注意したり、二階の真上に居住するF子、同A方の音がうるさいとして、A方の床を階下から木刀のようなものでトントン突き、翌日、同女らに「ドンドン、バタバタ」音を立てて寝られないとして文句を言いに行つたが、同女らから物音をさせていないとして言い返され、口論となつた。

(2) 被告人は、次の夜からA母子が注意されたことを根に持ち、毎晩のように物音を立て、寝られないように嫌がらせをしていると思い込んで腹を立て、逆に、夜中になると自室の天井を棒か何かで突き上げて一家に嫌がらせを続け、A母子と何回も喧嘩をした。

(3) 被告人は、A母子が近所の人に被告人が故意に音を立てているように話していることを聞いて、A母子が自分の方に迷惑をかけながら、そのように言うていることに憤懣を抱いていたところ、同年七月、A方のクーラーの水が被告人方の玄関に流れ落ちたことで文句を言つたのに対し、A母子が非を認めなかつたこともあつて、同月一一日、深夜、物音を立てたとして怒り、Aを木刀で殴打し、F子を手拳で殴打する傷害事件を起こした。

(4) 同年九月一八日、被告人は、右事件により、懲役一年、三年間保護観察付き執行猶予に処せられ、甲野文化に戻り、再び、トラブルを起こすまいと決心していたが、A母子が被告人の復帰に不満なのか、再び、二階で深夜に至るまでわざと音を立てているとして、音を出させなくするために棒切れで天井を叩く状態を続けていた。

(5) 同三年九月三日、被告人は、自室の袋戸棚の天井のベニヤ板が割られ、自室にないガムテープが貼られているのを発見し、Aが天井のベニヤ板を破り盗みに入つたに違いないと決めつけて、一一〇番通報をし、それ以降も、A母子が自室に侵入し、現金、印材、服地等を盗んだとして警察に数回被害届を提出したが、現場に来た警察官は、被害事実が全くないとして取り上げなかつた。

(6) それで、被告人は、自室の袋戸棚の天井にベニヤ板を張り、その他の天井板は、ガムテープを基盤の目模様に張り巡らして、自室に入れないようにして、東西の壁には、縦または横に角材を打ち付け、二階からの震動による揺れを防止しようとしたが、今度は、留守中に、Aが、予備の鍵を盗み出して表入口の木製ドア(シリンダー錠付き)から侵入し、包丁、鋏など刃物の刃を削り、鍋底や蓋などに塗料や接着剤をつけるなどして様々の嫌がらせをしているとの確信を抱き、入り口のドアの錠を三回も取り替え、本件当時は、ナンバー錠二個、南京錠など合計五個の鍵を掛けていた。

(7) そして、被告人は、何とかA母子を現行犯人として逮捕しようと考え、同三年一一月頃から本件に至るまで、昼の休憩時間を利用して、時々、仕事現場から自宅に戻り、あるいは、午前零時ころ、A方近くの物陰に隠れ、張り込みを続けたが、捕らえられないまま、本件犯行の前前日も、Aに侵入されたものと信じ込んでいた。

(8) 同四年三月一四日、被告人は、南京錠の留め金の付け替えをしていないことを気にしてイライラしながら、工事現場で警備員として働き、午後六時ころ、勤めを終えて帰宅し、早速、被害状況を確認したところ、錠の留め金に細工がしてあり、包丁や剃刀の刃にやすりで傷が入れられていたという。その後、風呂に行き、夜食などをとつて戻り、翌一五日午前〇時ころから、玄関の錠が気になり、留め金を直していたところ、同じ甲野文化に住むBと一緒にAが通り過ぎるのを見かけ、被告人が一所懸命錠の修理をしていると知つて、同人が酒に酔つて冷やかしに来て嘲笑したと思い激怒し、本件犯行に及んだものである。

(三)  守田鑑定について

守田鑑定は、まず、「被疑者は平成二年四月ころから、被害的、関係的妄想様観念を有し、かかる妄想様観念は次第に発展して、平成二年七月一二日の傷害事件を起こす契機となつている。しかしながら、入居当日からの騒音難眠と被害者母子との度重なる口論などで明らかな状況因があり、この段階までの妄想体験は了解可能である。」、「そして、被疑者が先の住居へ復帰し、音に対する同一の体験、そして被害者母子との関係がより一層悪化している状況にあつて、平成三年九月三日ころから被疑者の思考は病的発展に至る。すなわち、真性妄想(一次妄想)であり、被害妄想、迫害(盗害)妄想が認められるようになる。被疑者が自らの蒙つた盗害侵入体験をきわめて微細に証明しようと努力するも成功しないまま、論理的矛盾と非現実性の指摘を拒否する。このような精神状態で、妄想世界を有しながら、一方では毎日の日常生活は一定の秩序を保ち、本件犯行の平成四年三月一四日--一五日に至る。」としたうえ、結論において、「〈1〉本件犯行当時、被疑者は妄想反応に罹患していたと診断される。〈2〉本件犯行は被疑者の妄想反応に基づき、妄想知覚体験を契機としてるが、直接、妄想に支配されてなされたものではないと考えられる。〈3〉本件犯行当時、被疑者においては、事物の理非善悪を弁識する能力と、これに従つて行動する能力が著しく減退してる状態にあつたと考えられる。」としている。

これに対し、斉藤鑑定は、「平成二年四月からの被告人の妄想を妄想様観念であると判断する一方、平成三年九月からの妄想を一次(真性)を妄想として本件犯行時に至つたとしながら、当時の被告人の病態を妄想反応と診断した経緯にはいささか矛盾と独断がある。」と批判し、宮崎意見は、「守田鑑定のいう妄想反応は、患者の人格特性とその発生状況を把握することにより了解される心理的発展と考えられており、本件の場合のように被疑者の誤つた知覚(妄想知覚)に基づいて了解不能な妄想が発展している場合には用いないように思う。」と疑義を述べている。

また、守田鑑定は、前記結論を導いた理由として、「犯行当日、平成四年三月一四日から一五日での被疑者の思考、意思、行為においては清明と秩序が保たれていて(守田証言によれば、普通の市民生活を営んでいることを意味する。)、妄想体験(迫害妄想と被害妄想)が被疑者の全人格に重篤な影響を及ぼし、すなわち、妄想に直接支配されて犯行に至つたとは考えられない。」から、被疑者は心神喪失の状態にはなかつたとしている。

すなわち、守田鑑定は、犯行を犯した精神障害者であつても、まず人格があつて、妄想があるわけであり、妄想がその人の人格そのものになる訳ではないので、A親子に対する被害妄想が、被告人の人格そのものを支配して殺人に至らしめたとはいえないとし、妄想の全人格への影響の程度によつて、責任能力の有無の判断をしているように受取れる。

しかし、守田鑑定も、被告人がパラノイアに罹患していたことを認め、鑑定書でパラノイアが、「特有な人格構造に特殊な環境要因が働いて、持続的で確固たる妄想体系のゆるやかな発展を示す疾患」であり、「この場合、思考、意思、行為においては清明と秩序が完全に保たれる。」とし、パラノイアでは、妄想が特定の対象に限定して生じ、妄想の影響もその限度に限られ、他には影響せず、仕事をもつて社会生活を送ることができるのが特徴であるとするのであるから、被告人の責任能力の有無は、本件犯行が病的な真性妄想に直接支配され、弁識能力及び制御能力を失つていたか否かによつて判断すべきであつて、妄想とは直接関係のない人格の低下の程度を考慮して、責任能力を判断すべきではないというべきである。

したがつて、守田鑑定は、以上の点から採用できない。

(四)  斉藤鑑定及び宮崎意見について

次に、斉藤鑑定は、「本件犯行は、明らかに被告人の被害妄想ないし関係妄想に根ざしたものであると認められる。」とし、「本件犯行当時の被告人は、被害者に対する一次的な被害妄想の支配下にあり、被害者達に対し強い被害的な内容の妄想を有し、自己統制力、行動抑制力に著しい欠陥があつたため、無思慮かつ衝動的・短絡的に犯行に及んだものと認められる。したがつて、当時被告人は、このA母子との問題に関係のない事柄については是非善悪を弁識する能力を欠いてはいなかつたが、これに関係する事柄については、弁識能力を欠如していたと認められる。」と結論付けている。

また、宮崎意見は、前記(三)のとおり、平成三年九月三日以後、被告人は、妄想知覚を一次的妄想体験として被害妄想、迫害妄想が生じてきていたとしたうえ、「本件犯行は、被疑者の罹患していた妄想性障害に基づいており、直接妄想に支配されてなされたものと考えられる。被疑者の犯行の原因が真性妄想に基づいている以上、犯意を持つて計画的になされた犯行であつても、被疑者は犯行の動機においてその現実検討能力を失つており、理非善悪を判断する能力とこれに従つて行動する能力を喪失していたと考えるのが妥当であろう。」としている。

そこで、斉藤鑑定及び宮崎意見について検討するに、被告人が、平成二年四月から、既に、第一次妄想が発生していたとするかについて、両者の見解には相違があるが、平成三年九月一三日以後、被告人が真性妄想を体験し、被害妄想ないし迫害妄想または関係妄想を発展させていたとする点については、両者のみならず、守田鑑定をも含め、三名の医師の見解は一致しているところである。

問題は、被告人が、犯行当時、右の妄想に直接支配されていたかどうかであるが、前認定のとおり、被告人は、真性妄想が発生して以後、Aが密かに入室して来ては、物を盗んだり、部屋の中の生活用品に塗料をぬつたり、日頃自分が使用しているありとあらゆる物に傷を付け、壊したりして悪戯をされていると確信し、幾度も警察に訴えたり、天井の一部にベニヤ板を張り、入口ドアに数個の鍵を付けるなど進入防止策に没頭するようになり、犯行に至る前日も、錠前を気にしてイライラしながら仕事をし、帰宅後は嫌がらせの証拠を確認するなどしていたものである。

これらによれば、宮崎意見、斉藤鑑定が示唆するように、被告人の被害妄想、迫害妄想、関係妄想は、妄想知覚によつて益々強化され、被告人の精神生活を大きく支配していたので、被告人は、犯行直前、錠の留め金を直している時、たまたまAが通りかかつたのを見て、同人が留め金を修理しているのを知り、酒に酔つて冷やかしに来たと直観して激怒し、本件犯行に及んだのであつて、犯行当時、被告人は、右の妄想に直接支配されていたと認めるのが相当である。

(五)  検察官の主張について

検察官は、被告人の日常生活の一部が、被害者に対する被害妄想の枠の中で営まれていたことを認め、本件犯行が被告人の抱く妄想に直接的に由来するものであることは否定し難いとしつつも、次の諸事情をも総合考慮するならば、被告人の犯行が、右妄想に直接的に支配されていたとまでは言えないと主張する。そこで、以下、これらの点について検討する。

(1) 検察官は、まず、被告人が、平成三年九月から本件犯行までの数カ月間に被害者に対して、反撃を加えたこともなく、被告人自身、被害者に対する攻撃を自制していたことを挙げる。

しかし、斉藤証人は、被告人の罹患している分裂病性パラノイアの特徴は、自分から外に向かつて攻撃しようとする傾向とは本質的に相い容れず、自分の世界に閉じ篭もる傾向があるから、被告人の場合も、その限りでは、妄想の相手に対し強い敵意を持つていたとしても、被告人なりに自制心とかが働き、自分なりに止むを得ない事態にならないと攻撃に出ないということが見られるが、常時、被告人なりに辛抱し、相手に譲つているだけに、妄想の相手が冷やかし、馬鹿にしたような外部的な態度、行動に出たと知覚した時は、それが引き金になつて、犯行に走り、最後まで行つてしまうことになる旨の説明をしているのであつて、右の説明によると、被告人が、本件に至るまでAに対し犯行に及ばなかつたことは、犯行直前、被告人が同人から冷笑されたと知覚した時、被告人が行動を制御する能力を有していたことの証しとなるとは考えられない。

(2) 次に、検察官は、本件犯行の直接の引き金は、被告人の妄想内容である自室への侵入や窃盗行為に対する怒りではなく、被害者が被告人を嘲笑つたかのように被告人が思つたことにあり、妄想に直接由来したとまでは言い難いと主張する。

しかしながら、斉藤証人は、被告人は、本件に至るまで、A母子が被告人方に侵入し、盗みや器物損傷などを繰り返し、自分を嘲笑つているとの思いを累積していたのであつて、そのような一連の妄想が続いている中で、Aが被告人の目前で馬鹿にして、挑発的な行動に出たと知覚すれば、それを単なる嘲笑としてではなく、盗みなどと等しく自分の人間性そのものへの侵襲行為と受け止めるから、それが引き金になつて、それまで鬱積されていた思いがそこに集約され、犯行に走つたと思う旨の説明をしているのであり、右説明によれば、被告人において、Aが嘲笑し挑発したと受け取つたのは、被告人が一連の妄想に支配されていたがために、Aの表情をそのように曲解し、妄想の中に取り込んだせいと認められ、本件犯行も、被告人の妄想に直接由来するものというべきである。

(3) また、検察官は、被告人は、公判廷において、犯行時、殺人が悪いことであると思つていた旨供述し、犯行直後も、一一〇番通報もしているから、被告人は通常人程度の倫理観を持ち、自己がした行為の意味内容を十分理解していたと認められると主張する。

しかしながら、斉藤証人は、被告人は、パラノイアに罹患しているため、A親子にかかわりがない限り、殺人も窃盗も悪いことだということを知つており、通常の倫理感を持ち合わせているように思えるが、A親子に関する限り、自分に敵対して痛めつけて来る敵であるから別であるとして、本件犯行も、追い詰められて自分の身を守ために止むを得ない行為に出たものとして正当化、合理化をしてしまうので、制御能力が弱められると考えられるとしたうえ、被告人は、一応敵を制圧し目的を達成してしまうと、一般論で物事を考え出すから、非常に常識的というか、警察への通報もしてしまうけれども、Aに対し犯行に至つた経過については、恐らく現在でも行為の正当化を主張するだろうし、反省の意識も余りないのではないかという旨の供述をし、被告人も、公判廷で、一応は悪いことをしたとは思うが、それ以外のことは別に何も浮かばない旨の右斉藤証言に沿うような供述をしているのであつて、これらによれば、検察官の主張は、いささかパラノイアの病態から外れたものであり、当を得ないと言わざるを得ない。

(4) なお、検察官は、被告人が、牛刀等の凶器を持ち出したのは、被害者と争いになれば、相手は自分よりも若く、自分は肥満体で動けないからであり、また、包丁とドライバーを選んだのも、牛刀だけでは、曲がつてしまうのではないかと思い持つていつた旨の供述をしていることなどからすると、被害者と争いになつた場合の攻撃方法等について、通常人と同程度の状況判断・分析能力を持つていたと主張する。

しかし、斉藤証人は、パラノイアに関する限り、恐らく殆どの犯罪において、そういう的確な判断が行われているだろうし、場合によつては、犯行は計画的でもあるが、だからと言つて、逆に、被告人のようなパラノイアに罹患した者の病的精神状態の程度が低いとは言えない旨の反論をしているのであり、検察官の右主張も、被告人が妄想とは無関係な事柄に関しては、正常な判断力や分析力を有するというパラノイアの特徴と相容れない立論である、同調することはできない。

(5) 以上のとおり、検察官の主張する諸事情は、いずれも、被告人のAに対する犯行は、妄想に支配されていたことを否定するものとなることは考えられず、被告人は、右犯行当時、妄想に直接支配されていたため、右犯行に関し事の理非善悪を弁識し、これに従つて行動する能力を欠如していたから、被告人は、犯行当時、心神喪失の状態にあつたと認められる。

(六)  Bに対する犯行について

斉藤証人は、「被告人にとつて、Bが、多少、A親子側に付いていて、敵視する者であつたとしても、彼の標的の中には元々入つていなかつたと思われるから、彼がBに対して予め敵意を持つていて行為に及んだと考えられない。それ故、Bに対する行為については、彼の妄想の中で犯行が行われたということは到底言えず、たまたまそこで彼の標的を庇うようなことをし、彼がやろうとすることを邪魔したから、それを振り払うなり何なりの行動をしたと考えられる。」旨を述べ、Bに対する犯行については、被告人の責任能力を肯定するような口吻をもらしている。

なるほど、斉藤証人の言うとおり、Bは、被告人の妄想の対象とはなつていなかつたと認められるが、前記のとおり、被告人のBに対する犯行は、まさに、本件の妄想に基づく、Aに対する報復行動(犯行)の直前またはその最中に付随してなされたものであつて、右行動と一環をなしているから、主たる犯行について、妄想に支配された行為として責任能力がないとする以上、その延長線上のBに対する犯行についても、妄想に支配された中での行為として、責任能力がないと認めるのが相当である。

四  結論

以上のとおり、被告人の本件各行為は、心神喪失者の行為として罪とならないから、刑事訴訟法三三六条前段により被告人に対し無罪の言渡しをする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 阿部 功)

裁判官 中川隆司及び裁判官 一宮信吾は転補のため署名押印することができない。

(裁判長裁判官 阿部 功)

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